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2016年8月

2016年8月11日 (木)

「足らず講釈♯57」〜Rewriting of "Tarazu-Kousyaku"#57

“Tarazu-Kousyaku”♯57】(Rewriting)

それでは、57番の目撃報告について講釈をいたしましょう。

 

「都内の某病院食堂にて、体の不自由な方優先席が空気椅子を強いられる席になっています。これは百足らず様の仕業でしょうか?」

 

ということですが、これは「何もない空間に図のように座れ」という意味ではありません。「このマークのある場所に座れ」というサインです。 実はこのサインは、一時期、リサイクル品として数多く出まわったものです。その出所は先ほどの「中了潤巾退」屋であります。

 

当時「中了潤巾退」屋では、お客様が殺到し、待合所を設ける必要がありました。そこで、お店ではこのサインを店内のあちこちに置いていました。順番を待つ客は、このサインと同じマークが描かれた場所に腰を下ろし、自分の順番を待ちました。

 

では、このマークは何処に描かれていたのでしょうか?実は、皆さまは既にそれを目撃しています。ここをご覧ください。ここに、このマークがあります。従いまして、順番待ちの人々が、この階段に腰掛けて待機していたのでした。

 

その後、このシステムは多くの公共的な施設でも採用されました。しかし、合理性を図るために、スタイルはアレンジされています。それは、人々がマークのある場所に出向いて座るものではありません。それは、このマークのある場所で暫く待っていると、係の人が、階段型の椅子を持ってくるというものです。

 

ですから、どうぞご心配なく。このマークのある場所では、数分間じっと待っていると、やがて快適な階段型の椅子が運ばれてくることでしょう。これも「中了潤巾退」の流行に便乗したスタイルの一つと云えます。

 

以上で、今回の講釈は終了です。

これにて退きます。 

2016年8月10日 (水)

「足らず講釈♯87」〜Rewriting of "Tarazu-Kousyaku"#87

“Tarazu-Kousyaku”♯87】(Rewriting)


足らず講釈です。

7月の目撃報告についての講釈を始めましょう。今回は、57番と87番の目撃報告です。57番は、87番と直接関係しています。そのため、先に87番の講釈から始めたいと思います。

それでは、87番の講釈です。

「ある歴史を持つ橋の下に、古びた階段と手すりがあります。しかし、この階段に至る道が足りないのです。これは百足らず様が通ったためでしょうか?また、この階段の先には何があったのでしょうか?」

 まず、この建物が何であるかということを知る必要があります。実は、この建物には看板があったのですが、長年の風雨にさらされて文字が消えてしまいました。ですが、よく見ると、(看板の)文字の痕跡がまだ残っています。

ここをご覧ください。ここにシミのようなものがあります。これは文字の痕跡です。このシミの上に、かつてそこにあった文字を被せていきます。注意深くご覧ください。 

 

「 中 了 潤 巾 退 」

 

ご覧のように、「中了潤巾退」という文字が浮かび上がります。この「中了潤巾退」とは、現在の「ネクタイ」のことです。従いまして、この建物は「ネクタイ屋の建物」だということが分かります。

そもそも「ネクタイ」のタイは日本語です。「退く」と書いてタイと読みます。それがその由来です。ネクタイは、その発祥のときには「潤巾」と呼ばれていたものです。「潤巾」とは、「潤いのある布」つまり「湿った布切れ」です。

では、その「潤巾」が、どういうものであったかを、ご覧いただきましょう。これが初期型のネクタイ、つまり「潤巾」です。

「潤巾」は現在のネクタイに比べて、その長さが、五倍から、長いものは十倍にもなるものでした。従って、この絵をご覧いただければ分かるように、「潤巾」は常に地面に接しており、水溜まりなどを通過した際に濡れてしまいます。さらに、当時は現在に比べて、どこでも水捌けが悪く、ネクタイは乾くことがありませんでした。ゆえに「潤いのある布」=「潤巾」と呼ばれていたのでした。 「潤巾」は男子の正装だったため、人前で外すことができませんでした。そこで当時は、道も建物の床もすべて、「潤巾」のせいでびしょびしょでした。

 


ある日、百足らず様がこの「潤巾」をご覧になりました。「潤巾」は不衛生であり、その上、この長さが足りすぎていて、資源の無駄遣いであると、百足らず様はお嘆きになりました。百足らず様は、東京・秋葉原、万世橋の「潤巾職人」を訪れました。そして、「中了潤巾退」、つまり現在のネクタイを職人に作らせました。

 「中了潤巾退」とは、読んで字の如く、「中程で終わり(中了)、湿った布(潤巾)が退く(退)」という意味です。これにより「中了潤巾退」は水溜まりの上を歩いても濡れることはなく、かつ資源の節約を達成したのでありました。 

 さて、それでは何故、この建物に至る道がないのかについて説明いたします。その理由は、陸から建物に通じる道筋をあえて塞いでしまったからです。それは 「中了潤巾退」普及のために行われたキャンペーンの一環でした。

ここをご覧ください。ここに水路がありますが、この建物にはこの水路を経なければ入れないように改造されております。これによって、この「中了潤巾退」の快適さが誇張される結果となりました。「潤巾」から「中了潤巾退」へとダウンサイジングするために、人々はこぞってこの建物を訪れました。

 と云っても、イメージしづらいと思います。このキャンペーンに使われたポスターの原画を入手しましたので、ご覧ください。 

この原画を使ったポスターには、「往きはびしょ濡れ、帰りはドライ」という文言がしるされていました。それは、「びしょびしょになった『潤巾』は、建物への水路を通ったために、帰りには『中了潤巾退』となって快適になる」という変化を、端的に現したものでした。 

 このキャンペーンは大成功を収めました。当時は「中了潤巾退」の「退く」という言葉が、ある種の誉め言葉となって流行しました。「中了潤巾退」をした男性に対して、「よっ!退いてるねぇ・・!」と声をかける姿も、あちこちで見られました。

 


余談ですが、「中了潤巾退」の流行に伴い、多くの便乗商品が開発されました。なかでも、有名な「足らずバー」の「退きブラン」という飲み物がハイカラな人々の間で流行いたしました。

このブランデーもどきの「退きブラン」は、実はアルコールが退いていました。会社帰りに「退きブラン」を1杯ひっかけたお父様方も、素面のままあっという間に我が家へと退きました。そのため、奥様方には好評であったと、資料に書かれています。


以上、百足らず様のお仕事が花を咲かせた万世橋、「中了潤巾退」屋の一節でした。

 

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